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『障害をもつ人が いきいきと働ける場に』
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| 25年に渡り障害児教育に携わって、多くの卒業生を社会に送りだして来ましたが、その度に企業への就職や、職場への適応の難しさを実感しました。現在では、障害者にとって、学校教育はかなり充実したものとなってきましたが、卒業後の社会参加はなかなかスムーズに行きません。そこで、学校卒業後、障害を持っていても、毎日いきいきと生活して行けるように何か手助けができないかと思い、教員を辞め、自ら会社を始めるようになりました。 | |
| 1993年(平成5年)4月に、株式会社新右衛門は、知的障害を持つ一人の女子社員を雇用しました。その後、少しずつ障害を持つ社員を増やし、現在3名(30才女子、28才、26才の男子)の養護学校出身者が働いています。 | |
| 仕事は、漬物製造業、大野本店でのコンテナ(製品輸送のための箱)洗い、ラベル貼り、箱折り、そしてパンフレットの袋詰めなどの補助的な作業と、漬物の小売販売です。創立当時は東京・中野区で仕事をしていたのですが、漬物製造業の全面的な群馬移転に伴い、現在は週に3〜4日は寮に泊まり、群馬工場で仕事をしています。 |
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| 4年前、寮の近くに畑を貸してくださる方がいて、野菜作りを始めました。全くの素人ですが、皆さんにご指導、ご支援をいただいて、とうもろこしや、大根などを収穫しています。また、群馬に行くようになって、地元の野菜が新鮮でおいしいのに驚き、ぜひ東京の方々にも食べていただきたいと、3年前6月より、月に2回、東京・中野の本社前で野菜と漬物の即売会を行っています。 | |
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その他にも、養護学校等の学園祭やバザーに呼んでいただいて、即売もしています。このような即売会も、本当に多くの方々にご協力をいただいて、おかげさまで毎回大盛況です。 新右衛門では、たくさんの方々の暖かい応援に支えられ、一同、日々元気に、楽しく働いています。 |
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『新右衛門と大野本店』
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| 今から140年ほど前、大野新右衛門は現在の東京都中野区鷺宮で、染料にする藍を作る傍ら、隣接する練馬で生産される大根を使い、たくあんの製造を始めました。これが大野本店の始まりです。明治になり、安い化学染料が輸入されるようになると、藍の生産をやめ、漬物専業となりました。大野本店は二代、三代と受け継がれ、戦後は株式会社ヤマシンに名称を変更して、続けて来ましたが、3年ほど前、創業の地を離れ、すでに工場のあった群馬に全面的に移転しました。現在は、株式会社大野本店の名に戻り、群馬県新田町で漬物の製造を続けています。 |
| 現在、大野新右衛門から数えて四代目の真史が株式会社大野本店を受け継ぎ、その姉、敦子が運営する会社は、この漬物製造業の創業者の名前を頂き、株式会社新右衛門と命名されました。 |